刀剣の誕生
権力者が佩用 日本の歴史をたどってみると、いつの時代も、抗争や闘争などが繰り返された戦争の歴史でもあった。縄文時代・弥生時代には、時として大きな闘争が発生じたであろうが、激しい攻撃から体を防御する甲冑のような遺物は、現在のところ知られていない。 縄文式土器を使った時代には石刀が多く製作されたが、弥生式文化期になると打製の石槍が多く作られ使用された。次に大陸からの伝播を受け、青銅の鉾と剣が現れるが、完全な武器として実用化するには至らなかった様である。むしろ、宝器および祭祀用儀器として扱われた可能性が高い。 古墳時代(5世紀以降)から始まった鍛鉄技術は、兵器の発達を加速させ、この頃より各種武器の基礎が出来たと考えられている。この時期の武器には刀剣・鉾・弓矢・甲冑・盾などがあり、早くより日本固有の伝統をもった形式と、大陸や朝鮮半島より伝わった形式があった。 現在、古墳時代の刀剣で製作当初の姿を保った伝世品は皆無に等しく、ほとんどが出土品のために、錆の侵食によって、刀身の形状以外、鍛肌や刃紋のどの作風を見定めることは出来ない。しかし、大刀外装を飾る金銅製の柄頭などの金具類には汚損が少なく、完全な形のものがわずかであるが残っています。 刀身を保護する外装(拵え)は、多くが柄・鞘ともに木製に布や鹿の毛皮で包んだ程度のものであったと推考される。しかし、中には金銅で装飾を施した豪華な物も見られる。外装は柄頭の形式と手法に特徴があり、それによって以下の種類に分けられる。 (1)鹿の角を装具とした鹿角装刀(ろっかくそうとう)。最初は両刃造りの太刀と片切刃造り太刀とが相半ばで、後には片切刃太刀が多く用いられた。 (2)柄の先に環状の金具を付け、そこに龍文や獅噛み三葉文(しがみさんようもん)鳳凰文などを透かした飾りをつける環頭太刀。出土する各種の太刀外装の中では、環頭太刀が最も多い。 (3)柄先に拳状の丸味をおびた柄頭をつけた頭椎(槌)太刀。拳形の柄頭には銀象嵌や連珠・連続渦状文が施され、幅の広い鍔をつけているのが特色です。関東地方の後期古墳より多く出土しています。 (4)中国古代の王器・圭玉に似た山形風金具を柄頭につけた圭頭太刀。後期古墳より出土し、柄と鞘に金銅板を用い、連珠文が配されるなど、頭椎太刀と共通点が多いです。 古墳から出土する刀剣の中にも、腐食の度合いが軽く、形式・材質・細部の構造がある程度判るものがある。古墳時代の刀剣は、武器として高度な性能を持つと共に、象徴的な儀式用の刀剣であったと推考される。当時、贅をつくした華麗な刀剣外装は、統率権をもち、祭祀その他の宗教的行事を行い、さらに戦闘を指揮した権力者のみが佩用できたと考えられます。
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