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天国あまくに 〜雷鳴呼ぶ神剣を鍛った刀工の祖〜
普通、日本刀鍛冶の始祖といえば、文武天皇の大宝時代、大和の刀工天国の名を挙げる。が、異論もあって、いまだ天国の時代は、いわゆる日本刀の体をなしておらず、むしろ、伯耆の人安綱をもって始祖とすべきであろうという論もある。が、それはともかく、鍛冶天国の位置は、そうした所にあることは間違いない。 ここに江戸亀戸天神社家の出身で、はじめ武井藤吉といい、のち本屋宗七を名乗った戯作者がいたが、これが若いころ、吉原通いに差しつかえるようになり、不届き至極な妄念を抱くにいたった。 天神社の宝蔵に、宝剣天国があることを思い出し、これを質屋に入れ、吉原遊びの資金にしようと考えたのだ。勝手知ったる宝蔵である。宝剣が蔵のどの棚に納めてあるかも心得ているから、忍び入りさえすれば、事は簡単とほくそ微笑んだ。 ある夜、ついに決行。番人がいるわけではないので、まんまと宝剣天国を盗み出した宗七は、その足で中の郷の質屋へ持ち込もうとはかったが、途中、天候が急変、雨となった。 しかも雨はいよいよ激しくなり、物凄い雷鳴がして、今にも足元に落ちんばかりとなった。宗七は宝剣を抱いた姿で、業平橋に立ちすくみ、これは神罰に違いないと恐怖し、今来た道を引き返して、宝蔵に天国を戻した。 亀戸天神の宝剣とおなじく、平家重代の名刀「小烏丸(こがらすまる)」もまた、天国の鍛えたものとの伝説がある。 およそ名を知られた刀剣には、古来、霊異のエピソードを身に纏っているものが多いが、この小烏丸もその一つであった。 平安京を開いた第五十代桓武天皇が、ある日、南殿において朝拝を、されていると、突然飛び出した一羽の小烏が、自分は伊勢神宮のお使いであると申しのべるなり、あとはなに言うまでもなく飛び去った。 それで帝は、不思議なこともあるものよと小首をかしげ、ふと見ると一振りの太刀がひっそりと置かれていた。これが「小烏丸」と名付けられた由来であり、以来、桓武天皇は朝家(天皇家)の守護刀として秘蔵された。 その天皇家の守護刀がどうやって平家重代の宝刀となったのかは、時移り朱雀天皇の天慶二年(939年)、東国に勃発した「平将門の乱」が契機となる。 事は桓武天皇の曾孫(ひまご)高望王が、臣籍に下って平氏となり、上総の介に任ぜられて東国へ移住したことに始まる。高望王は任期が終わっても帰京せず、そのまま東国に土着した。 高望王の嫡男「国香」は、常陸大掾となって勢威をふるったが、次男が良兼といい、三男「良将」の子が小次郎将門だ。父「良将」が若くして死んだ後の所領争いから、憤激決起した将門は、ついに「新皇」と称し、京都朝廷を震撼させた。 ここに朝廷は将門追討の軍を差し向けることとなり、将軍「平貞盛」に節刀として賜ったのが、他ならぬ宝剣「小烏丸」である。節刀とは、出征する将軍に、天皇から賜わる太刀であり、以後、平家重代の一つとなった。
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@大和国天国太刀(小烏丸)刀身 (宮内庁蔵)
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A大和国天国太刀(小烏丸)拵え (宮内庁蔵)
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B彩画職人部類 鍛冶(国立国会図書館蔵)刀を鍛つ天国を描いてある。側にいるのは小鍛冶宗近か? 宗近は天国に就いて刀を学んだと言われている。
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